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■「なにわの塔」に響き渡った「故郷」の歌声

2013.02.24

~英霊に感謝の誠を捧げた慰霊祭に29名が参加~

昨日23日の夕方に沖縄から帰阪したが、新緑のような温かい陽気から一気に風
の冷たさが身に染みる大阪に戻って来たことを改めて思い、沖縄は温かったのだ
と思った。

21日からの「第3回なにわの塔慰霊祭」は2日目の午後から夕方に小雨が降っ
たのを除いては爽やかな天候に恵まれて、当初予定していた行程を無事に過ごす
ことができた。小生にとっては昨年11月の天皇皇后両陛下の奉迎活動への協力依
頼の沖縄行きであり、これで5回目となったが、回数を重ねる度に、沖縄という
存在が今日の日本人にとって欠かすことのできない重い歴史を持っていることを
益々感じるツアーとなった。今回は神政連の主催であったが、参加者は29名で神
社界以外にも日本会議の会員の方もおられ、文字通り日本会議と相提携した行事
となった。

okinawa1 21日は午後、波上宮で正式参拝を斎行、沖縄に入ったことと慰霊祭を無事に行
わせて頂くことを心を込めて祈らせて頂いた。ご案内役の末安名誉宮司が昨年の
提灯奉迎活動が盛大に行われたことや辺野古への基地統合に向けた国民運動もこ
れから起ころうとしていることなど、沖縄が変わりつつある近況を詳細にお話し
頂いた。小生は日本会議沖縄の事務室を訪ねたが久留島さんや坂本君達が頑張っ
ていた。

その後、ツアーの中心行事である「なにわの塔」のある平和祈念公園へ向かっ
た。ここはいつも見渡す限り木々の緑が広がっているが、各県ご出身の英霊が
ずっと沖縄と日本を守り続けていることを身体に感じる場所である。なにわの塔
は摩文仁の丘の丁度、中心に位置している。到着するとスタッフメンバーが当日
早乗りして大阪から持ってきた水、お菓子、たばこをはじめとして色々なものが
乗せられた祭壇、テントや椅子や音響器具を準備していた。ありがたいことである。

慰霊祭には、渡慶次・沖縄神社庁長や加治・護國神社代務者にもご参列頂き、
大阪府ご出身の英霊の方々の御霊に心から感謝の誠を捧げるお祭りとなった。斎
主の菅野宮司の祭詞は、私達が英霊の方々の思いをつないでいく誓いとなり、ま
た祭壇の前での舞姫の糸数さんがみたまなごめの舞と浪速神楽を奉納したが、日
差しが強いにもかかわらず、その時だけは一陣の涼しい風が吹き渡り、御霊がこ
のお祭りを喜んでいることを実感して、心安らぐひとときとなった。最後に衞
藤・本部長が挨拶の後、全員に「故郷」の歌詞を配布して全員で唱和したが、そ
の歌声がなにわの塔に響き渡り、思わず感極まった。

okinawa2 22日は宿泊場所から沖宮を自由参拝後、陸上自衛隊第15旅団を訪問した。この
基地は沖縄県の防衛警備・災害派遣を担当、とくに不発弾処理・緊急患者空輸の
民生協力や各地で行われる行事協力・音楽演奏支援などを実施しているところで
あった。展示室で広報課の方から説明して頂いたが、年間800件に上る不発弾処
理が行われている点は、実際に沖縄戦の痕跡は今日まで残っていることがわかっ
た。また沖縄戦における日米両軍がどのように戦ったのかを映像を使ったパノラ
マ模型を用いながら立体的に説明して頂き、この戦争が全島に及んだ局地戦であ
り、今日の沖縄はその犠牲の上に成り立っていることを学ぶことができたことは
よかった。

説明の後、食堂で隊員達がとっているカレーを頂いたが、大変おいしかった。
我々が食事をとしっていると、若い精悍な顔立ちをした隊員が次々と入って来ら
れた。小生もなるべく「ご苦労様です」と激励の声をかけたが、皆、屈託なく気
持ちよく挨拶をしてくれて嬉しかった。

その後、降り出した雨の中、バスはやんばるの美ら海水族館に向い、水族館と
植物園を見学した。ここは海洋博の跡地にできた建物であるが、平日とは言え、
多く観光客が多かった。その後、恩納村の宿泊場所に泊ったが、夕方とは言え海
の青さが鮮やかでリゾートとなっている理由もよくわかった。

okinawa3 23日は「道の駅かでな」に寄ったが、展望台からは嘉手納の滑走路が見下ろす
ことができた。広さは普天間基地を上回る感があり、平日はハリヤ―などの戦闘
機が発着していて、騒音が続いていて会話の声も聞こえないとのことであった
が、土、日に当たる当日は、戦闘機も格納庫に入っているのか見当たらず静かで
あった。ベトナム戦争の時にはここからB52が発着した。基地の中には地元の
人々の住居跡もあるし、墓地もあり、今も墓参りは基地の許可をとって出かける
とのことで、戦争による現地の人々の生活は激変したことを物語っていた。

続いて近くのアメリカンビィレッジで買い物をしたが、米軍向けの生活の雰囲
気が漂っている場所が観光地となっている現実も複雑な感はあるが、受け入れる
必要があることを認識したのだった。

その後、那覇市内で昼食をとった後、昼過ぎに那覇空港から大阪に向かったの
であった。

総じて二泊三日の限られた沖縄滞在であったが、この地はいまだに沖縄戦の痕
跡を深く残しているが、そのことを常に心して自分達が元気であることに感謝を
すること、英霊を思い出すこと、そして今、沖縄が日本にとって重要な存在であ
ることに真向かうことが新たな歴史をつくっていくことになることを学んだツ
アーであった。

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