■長野帰省-心の原点を見つめる

 年度末であったが、3月23日から25日まで無理をお願いして休みをとり、亡父の
墓参りと介護施設にいる母親に会うために郷里の長野の実家に単身、帰って来た。
大阪の方は桜の開花宣言間近で暖かくなっているが、さすがに実家の長野市は、朝
夕はまだまだ肌寒く、こたつとストーブが必要である。
 今は誰も住んでいない実家であるが、それでも庭には黄色い花がこじんまりと咲
いていて、主なき所であっても一生懸命に生命は続いているのだと感動した。

 幸い、小生が戻っている間は陽が照っていてようやく春の兆しが感じられた。
 母親も思ったより元気そうで、普段の生活を聞いたり、近いうちにまた外に連れ
ていったり実家で隣近所の友達とお茶でも飲んだりしようと話をしたが、嬉しそう
にして一安心した。

 また24日に彼岸明けであったが、亡父の墓に訪れ、お墓をきれいに掃除して、お
花を活け、桜餅を捧げて、心ゆくまで亡き父に帰ってきた報告、数か月に一回は必
ず帰ってきて墓参りをすること、丸山家を守っていくことを告げ、父の遺志に継い
でいくことを念じながら手を合わせた。何か心の安らぎを覚えるひとときとなった。

 両親が元気な頃によく話をしていた隣近所のおばさん達とも今は臆することもな
く、親しみをもって話せる自分にもびっくりしているのだが、これも両親との付き
合いがあって初めてあるものだと思うと、親に感謝することしきりであった。

 実家のある周辺は、自分と同じ世代が都会に出ることが多く、年配の方々が多い
のだが、定年退職で実家に戻ってくるのかわからないが、高齢化社会のひずみの一
端が自分の田舎にあるのも事実だ。

 ただ自分の来し方を考える時に、育ってきた原点は確かに郷里にあり、自分の人
間形成の大きな部分を占めていることを実感する。小生にとっては、心の原点を見
つめなおす機会があることを大切にしていきたいと思っている。

 家の戸を全て開け広げて、新しい空気を入れたが、自分のつかえがとれたような
気分となった。

 この時期に帰ってよかったと納得して、帰阪した。