■提灯奉迎に2700名が参加、最高潮に達した両陛下ご答礼の瞬間

~沿道奉迎も多く人々が出迎え~

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24日から25日にかけて、天皇皇后両陛下には京都に続いて大阪へ行幸啓遊ばさ
れるのに合わせて、大阪では日本会議大阪をはじめ関係団体や各層各界の人々が
天皇陛下奉迎大阪実行委員会を結成し、お泊り所のリーガロイヤルホテル向かい
側の遊歩道での提灯奉迎と沿道奉迎を展開して、本日25日の午後の大阪空港での
お見送りを無事、終了した。

メイン行事である昨日24日の提灯奉迎行事について詳細に報告したい。
提灯奉迎は、平成21年11月以来、4年ぶり、そして小生の知る限り、去年11月
の沖縄県以来となり、沖縄の提灯奉迎の時にはお手伝いに行った感動を大阪で受
け継ぐことができたことに不思議な縁を感じていた。

具体的な準備期間が一か月に満たない中、行幸啓のご日程も詳しいことがわか
らず、また6月8日に控えた日本会議大阪の設立15周年記念講演会準備の中、と
にかく5月下旬から同時並行で、案内状を送付したり、警察交渉、現地下見をは
じめ膨大に事務課題がある中で果たして準備は間に合うのか、提灯奉迎に失敗し
たら両陛下にどのようにお詫び申し上げなければならないかという大変な緊迫感
をもって、準備をさせて頂いた。

さらに19日の夜には大阪府から両陛下の御答礼のお時間が8時半になられると
いう連絡が入り、それまで奉迎参加者の集合場所の西梅田公園への集合時間を5
時にしていたのを急遽、6時に変更することとなり、関係団体への緊急のご案内
をするなど、ドタバタとなり、パニックの状態となった。

それでも先週の22日から、神社庁は提灯奉迎、沿道奉迎の問い合わせの電話が
ひっきりなしにかかり、改めて人々の心の中に両陛下を拝したい、奉迎したいと

いう意識が根付いていることを実感した。

 

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24日は心配されていた梅雨の小雨も朝方であがり、集合場所に100名以上に及
ぶ運営委員が集まった時には、蒸し暑かったが、全体の打ち合わせが終り、5時
位から次々と参加者が集まり出した頃には、涼しい風も吹くようになってきて、
絶好の陽気となった。各団体で呼びかけている参加者をはじめ、気がつくと公園
のぐるりの階段には多くの参加者が提灯をもって、座ったり、また会社帰りの
人々も受付で明るい表情をしながら、提灯を受け取っていて、6時頃には、もう
公園内は満杯となった。

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出発する東側の公園出入り口では幼稚園園児や親御さんたちで一杯となり、一
般の歩行者の歩行ができない状態となった。

運営委員のメンバーもそれぞれ持ち場で課せられた役割をして頂き、全体誘導
のメンバーはマイクを離す暇もなく、お出ましの時間とパレード出発時間の案内
をし続けたが、時間の変更のことを知らなかった人々も最初はびっくりされてい
た人もいたが、陛下のことであれば、もう少し待つことが出来ると、納得されて
いる方がほとんであった。

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集合されている参加者は約2700名、もう公園内、立錐の余地がない。出発セレ
モニーが7時から開会、もうこの時には陽がおちはじめていて、暗くなる気配が
している。衞藤・実行委員長の司会で、寺井・会長から、「4年前の提灯奉迎以
上の規模で行われることに感動している。是非、皆さんと提灯の明かりを通じ
て、まごころを両陛下に伝えていきましょう」と主催者の挨拶の後、事務局より
諸注意、そして提灯での奉迎の仕方を説明した後、全体誘導の津守さんの先導
で、「ありがとうございます」「万歳」を繰り返し、練習すると、いやが上にも
奉迎の雰囲気が徐々に高まっていった。

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7時15分、パレード出発。最先頭は約800メートル、最後尾は約300メート行進
する計算となるが、5梯団となって延々と500メートルの長きに渡って、出入橋
を出て、堂島3丁目の交差点、田蓑橋北詰、そこから堂島川沿いの遊歩道を進
み、玉江橋北詰交差点、さらにわたって西側の遊歩道へと進んでいく。堂島3丁
目交差点を渡ってからは、万歳の唱和がはじまり、この声しは遊歩道に入るとひ
ときわ大きくなっていった。

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全体が所定の奉迎場所に着いた時には既に8時になってあり、実に45分かけ
て、奉迎態勢に入ったこととなる。堂島川を挟んだ中之島の林立したビルの明か
りが川面を照らして美しい。さらに玉江橋の欄干は、ブルーのライトアップをし
ており美しい。この頃にはもうすっかり、辺りはとっぷりと夜の風景である。

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各梯団では「万歳」の唱和が途切れることなく続く。ある箇所では、女性の運
営委員が、土手の方があらん限りで先導してくれている。横断幕、幟も結構、ラ
イトに照らされて目立っている。

10分前には、両陛下がおわしますであろうお部屋のカーテンが閉められた。参

加者がそれまでの唱和を中止して、静かにその時を待った。小生は、参加者がな
るべく前に進んでもらうよう指示しながら、玉江橋の東側近くに立った。

 

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そして8時30分の御答礼のお時間、28階のお部屋の明かりが2回点滅、その
後、最初はおぼろげであったが、一対の明かりが横に大きく振られているのがわ
かると、次第にその明かりが御意志のあるように大きく迫って見えてきた。
この明かりを目にした途端、小生はこの瞬間に接するために、準備したきたの
だと思うと、込み上げてくるものがあり、目頭が熱くなった。

ゆっくりゆっくりと横に振られているのを確認すると、奉迎者がその動きに合
わせて横に振り、「天皇陛下、ありがとうございます。」「皇后陛下、ありがと
うございます。」「天皇皇后両陛下、ありがとうございます。」の唱和となった。

 

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その後、両陛下の灯りは大きく上下に振られ、奉迎者は今度は万感の思いを込
めて「天皇陛下、万歳」「皇后陛下、万歳」「天皇皇后両陛下万歳」を繰り返し
た。もう人々は一生懸命で思いの丈を万歳の唱和でお出ましのお部屋まで届けと
いう感動の最高潮に達した風景であった。この時だけでもかなり長い時間が経っ
たと思っていたが、再度、両陛下の提灯は横、縦と揺れ、奉迎者もそれに従った。

このひとときが提灯によって、天皇皇后両陛下と国民がつながっていることを
実感することのできた、無上の喜びであることを実感した。

 

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約6分間のご答礼があり、両陛下の人影と思われるお姿が目に入ったと思った
後、お部屋の明かりが2回点滅、その人影は消えられた。

人々は引き続き国歌斉唱を唱和して、感動のひとときは終わった。そして解散
となったのであるが、皆、両陛下の提灯を拝することができたことを口々に喜び
合いながら、帰路に着いたのであった。

その後、運営委員は、備品を回収しながら西梅田公園に集合し、
そこで天皇陛下のお言葉が宮内庁を通じて、事務局に伝えられたことを芦立事務
局長が紹介した。ここに紹介します。

『 大変よく見えました。
皆さんと心を一つにでき、うれしく思っています。
いつも迎えてくれてありがとう。
気を付けて帰って下さい。』

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小生には両陛下は、奉迎者も提灯もしっかりとみそなわせ、心を一つにできた
ことを喜んでおられる、そして、いつも迎えてくれて、喜んでいて下さるとお言
葉を賜ったことに、このお言葉が府民全体に向けられたお言葉であったと思いを
新たにしたのである。両陛下と心を一つにすることができた国民の喜びを両陛下
も国民と心を一つにできた喜びと感じていて下さる、これ以上のお言葉があるで
あろうか。

全ての苦労が吹き飛ぶとともに、これから一層、頑張っていこうと誓ったので
であった。

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沿道奉迎では、市立環境学習センターが約2000名、新日本テックが約1000名、
阪大前が約1000名、大阪空港が約1000名にのぼる奉迎参加者であった。どこも日
の丸小旗が足りない状態であった。

運営に関わって下さった運営委員の皆さん、お疲れ様でした。