■歴史に刻まれる主権回復式典開催

 昭和天皇の昭和27年の御製

 風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし 八重桜咲く春となりけり
 國の春と今こそはなれ霜こほる 冬にたへこし民のちからに

 昭和天皇がわが国が独立を回復したこの日をどんなに嬉しく思っておられたの
かが拝察できる。

 昨日28日、政府主催、天皇皇后両陛下ご臨席での「主権回復・国際社会復帰を
記念する式典」が憲政記念館で開催されたことは、わが国再生の大きな足跡と
なった。確かな足跡であった。この式典は単に安倍政権の登場と自民党の総選挙
での公約にあったから実現しただけでなく、長い間、わが国が戦後、主権を回復
したことがその後の発展に大きく寄与したこと、また今日の内外の情況の中で、
国家主権を回復するとはどういうことなのか、多くの国民が知るべきであるとの
声が高まった結果であることを認識したい。

 それに対して沖縄の式典開催反対勢力や共産党はこの日を「屈辱の日」とし、
また社民党に至っては「天皇の政治利用」であると批判した。しかし、事実を
しっかりと見据えることだ。

 昭和22年の占領下、昭和天皇は米国に対して、ソ連を中心とした共産主義勢力
から沖縄を守るために、米国の軍事力を沖縄に展開してほしいと提案され、更に
米国が沖縄を永久支配しないことを保障するために、沖縄の主権は日本が持ち、
沖縄の施政権を米国が一時預かる租借という形をとってほしいと提案された。こ
の時に米国は昭和天皇の提案を受け入れ、沖縄の潜在的主権は日本が持ち、施政
権は米国が持ったからこそ、結局、米国の永久支配がなくなった。このことは、
昭和天皇と時の政府のおかげであった事実を深く受け止めたい。

 確かに本土復帰後の沖縄における復帰運動と生活は想像を絶する辛苦があった
が、その事を安倍首相は式辞の中で「沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄
せる努力をなすべきだ」と述べたが、真正面に沖縄のことに心を砕いていたこと
は評価したい。

 また、昭和天皇は昭和50年の9月末からの米国ご訪問に際して、「私はどうす
るのだ。アメリカに行く前に(沖縄に)行けないか」とご下問されたが、沖縄祖
国復帰の3年後に沖縄に行かれる決意を示されておられ、反天皇を訴える左翼過
激派勢力が跋扈している中であっただけに、沖縄を守りたいとの並々ならないご
決意であったことも国民とて押さえなければならない。その御心を継承された両
陛下がこの式典にご臨席されたご決意こそ、政治利用を言う党派は拝察しなけれ
ばならないのではないか。

 戦後呪縛されたきた国民精神が少しずつ回復するきっかけがこの式典開催で
あってほしいと願うものである。