■国会と国民が一体となって決断するとき

 このところ、わが国の安全保障 体制の基盤を覆す事件が連日、続いており、多くの国民は身の安全だけでなく、この国が周辺国の「邪悪な」戦略の前に崩壊する可能性があることを実感する機会が多くなった。安倍首相は単に怒りにまかせて抗議するだけでなく、冷静沈着な対応の中にも中国海軍の射撃管制用レーダー照射については証拠固めをし、中国側が反論できない背景をつくったり、北の核実験については逸早くわが国独自の制裁措置を出すとともに、日米共同歩調をとって制裁措置を国連安保理で決議することを盛んに働きかけ、とりあえずわが国の存在感をアピールしている。

 さらに先日の衆院予算委員会で石原・維新の会代表の質疑応答で、尖閣諸島の実効支配とは何か、現憲法の認識と改正をどのように進めていくのか、靖國神社を参拝するかしないか、攻撃することが確実な敵の基地に対しての攻撃は現憲法下でも可能であるとの見解など、考えてみると、これまでタブーとなっていた国の基本問題について重要な議論がなされた。維新も明確に改憲勢力の一翼であることが明確となった。

 ここまで来ると押し寄せる周辺諸国の恫喝に対して安倍首相は憲法問題に触れざる得ない流れの中にあることがよくわかる。自然の流れの中で、今のままではどうしようとないと嘆いている時ではなく、国会と国民が「一体となって」決断する時なのだと実感する。自然の流れとは逆にこれまで安全保障について、先延ばしにしてきた宿題をこれ以上は、棚上げにできなくなることを意味する。

 この「一体となって」の部分が、これまでわが国が置かれて情況の中で、最大のピークとなっているのではないか。