■今回の総選挙について思うこと-選挙戦と国民の政治的関心

 注目の総選挙の結果、民主党が大惨敗、自公が参議院320議席を超え、参院のねじれ現象があっても再度、衆議院で議決可能となる安定多数で勝利、さらに維新は明確に第3極の位置に立つことが決定した。

 マスコミでは全国的に民主の議席が選挙区においては壊滅状態になり、前回、自公が消失した選挙区が復活したことを報じていたが、こと大阪については19選挙区のうち12で維新が当選したこともあり、さながら維新の特区のような形となり、改めて維新への期待が続いていることを実感した。これまで議員活動をしたことのない、またマイクを持っても話がろくにできない候補者も維新という看板を背負って当選した例もあったようだ。

 また小生が応援していた候補者のようにしっかりとこれまでの議員活動を踏まえた選挙運動をしたにもかかわらず、なかなか有権者が本当の姿を理解する機会が少なかったこともあり、当選ラインに及ばなかった人もおり、選挙は結果が全てとは言え、何か割り切ることができないのと、選挙の非情さをつくづくと痛感した。今回程、国政に送りたい人と実際に国政に行く人には、乖離があることを感じざるを得なかった。

 大阪だけを見ていると維新の風が吹き続けているが、それは大阪府と大阪市の行政機能を一体化する構想の実現が可能性が高くなったことと、やはり教育改革、公務員改革について短期間で実績を挙げてきたことに対する府民の評価であると思う。

 気になったのは投票率の低さである。平成17年の小泉政権時代の郵政選挙、そして平成21年の政権交代選挙は別次元であろうが、課題山積の中、崖っぷちに立たされた我が国の舵取りを決定する今回は、選挙区、比例区ともに59%と戦後、最低となった。このことは何を意味するのか。一頃、語られた「若者の政治離れ」といった言葉では一率に括ることができない。

 大震災による被災地や被災された人々の生活の復興が遅いこと、これほどの不景気の中で自分の会社や生活が豊かにならないのに、消費税を増税しなければならないこと、代替エネルギーの見通しが立たない中での脱原発の声だけが取り上げられていること、外交敗北と領土領海が周辺諸国から侵犯されているのに何もすることができない政府の不甲斐なさなど、最初は国会議員を通じて政府に要望と抗議をしていたにもかかわらず、一向に改善されない政治状況に対して、どうせ投票しても変わらないという諦観のようなものが多くの国民の胸の内に芽生えているのではないか。
 従って、国政を本当に民意に従って変えようと思うのであれば、政治が国民に期待と夢を与え、しかも訴えが実現できるものであることを政治家は一層、態度と言葉で伝える責務があると思う。

 今回、安倍総裁は新政権発足に当たって、矢継ぎ早に発信している。憲法改正に向けて維新とみんなとも相提携するとともに次期参院選で勝利することによって、両院での3分の2の勢力を結集していくこと、教育再生本部を設置していくこと、日銀と政府と一体となって、景気対策を行っていくこと、日米関係を修復することによって安全保障体制を確立すること、尖閣諸島などに公務員を常駐させ、実効支配を強化する、靖國神社参拝を行い、英霊顕彰をすること、自虐的歴史観の元凶となっている「近隣諸国条項」の見直しを行うなど、あらゆる面で「日本を取り戻す」ことを強力にアピールしている。

 憲法改正がこれまでスローガンとなっていたが、そうではなく現実に可能性がある環境になりつつある。

 これを国民が政治への期待と夢と受け取ることができるのならば、国民の政治への関心は高くなり、この時にこそ「戦後レジーム」に一つの大きな穴が開くのではないかと確信する。

 小生には単に自民党、維新の議席が増えたというだけでなく、国民の政治的関心が高まった時に国は変わるものだと痛感している。