■父親の死を乗り越えて

 昨日2日の夕方に、大阪に戻ってきたところである。

 小生の父親が8月27日の昼に亡くなった。享年83歳だった。

 実家が長野ということで、実家に近いにところに住んでいる妹や先に見舞いに
行っていた家内などの連絡ではまだ小康状態が続きそうであったが、当日、朝か
ら容態が急変したとの知らせを受け、とるものもとらず、直ぐに長野に直行した
が、電車の中で亡くなった連絡を受けることになった。なんとか息の引き取る前
に間に合いたいとの願いは叶わなかったが、自宅で安らかな死に顔を見て、自然
に「今まで本当にありがとうございました。これからしっかり、責任をもって家
のこと、母親のことをめんどうみるから安心して下さい。」との言葉が出て、悲
しみがこみ上げてきた。

 28日には喪主として通夜、29日には葬儀に臨み、翌日からはお寺まいり、自宅
への弔問客の応対、四十九日法要の連絡や、いろいろな手続きなどがあり、介護
の必要な母親の面倒をどうするかなど、悲しみを悲しみと捉える前になすべきこ
とが多く、家内をまだ実家に残したままに帰阪して、ようやく父親の不在の重さ
を実感しているところだ。

 胃がんも末期症状で、入退院を繰り返し、7月下旬からは病院での闘病生活と
なったが、8月からの半月間、休みを頂いての看護が出来、また今回、葬儀前後
に1週間の休みを頂くこととなったが、小生にとってもかけがえのないひととき
を送ることができた。

 父親は現役の時は警察官、退職してからは長野県の安全運転管理者協会事務局
長として、その後は、親族の世話役として、自分のことよりも人のために役立ち
たいとの奉仕精神の強い人であった。

 小生がこのような国民運動に従事していることについては、決して賛成ではな
かったが、病床から「あとはお前にまかせるから、宜しく頼む」と絞り出すよう
な声を聞いたり、生前、とにかく長野の戻って来てほしいとの母親の希望に対し
ても、父親は「今、長野に戻ったら公紀の生きがいはあるのか」と言って、息子
のわがままを承知してくれたことを母親から聞くにつけて、曲がりなりにも一人
前になったことを認めてもらったような気がしている。

 葬儀が終わって、毎日、父親の遺影に手を合わせていたが、その温和な顔を拝
しているうちに、とにかく自分に注いできた愛情を自分がどのようにして恩返し
していくのかを考えていた。

 この8月はとにかく、父親、母親、兄妹、親族と家族の絆がいかに大切なもの
なのか、一人の人生が幕を閉じるとはどういうことなのか、目の当りにしてきた
が、父親は小生に人間的に一回り、大きくなることを教えてもらった気がしてい
る。また同志の励まし、事務所の人々の励ましがいかに大切であるのかを痛感し
てきた。

 明日からは心の動揺をなくし、どっしりとして課せられた使命に全力で従事し
ていくことが、小生のとるべき道であると決意する。

 多くの同志の方々にまごころのこもった弔意を頂きましたことを心から御礼申
し上げます。